一本の電話から
「パスポート持ってる?明日からアメリカに出張行ける?一人で。」
繊維メーカーに入社して5年目。私の初めての海外出張は、こんな一本の電話から始まりました。
どうしてもやらなければならない仕事があったので、1日延期してもらいましたが、出発までは、その週やるつもりだった仕事の前倒しのため、二晩ほぼ徹夜をしました。
心の準備=なし
数年前にスペインに遊びに行ったのでパスポートを持っていたのですが、当時、自動車部品の国内向けの商品開発を担当しており、自分が海外出張に行くとは全く思っていませんでした。しかも初の海外一人旅です。
出発当日、関空で「地球の歩き方」を購入しながら、睡眠不足で朦朧とした頭で、「本当にこのまま生きて行って帰ってこれるのか」と初めて考えたのを覚えています。
当時は国際電話できる携帯電話はなく、インターネットも電話線に繋いで(ダイヤルアップというやつです)なんとか使えるところを、急な出発だったのでそのための機材もなく、という状態でした。すなわち、会社とやり取りするには基本的にホテルで国際電話を掛けるしかないのです(結局、電話はしませんでしたが)。
道中の記憶=ほぼなし
ビジネスクラスを使用する条件で、このような短期間でも旅行代理店が対応可能だったという記憶があります。せっかくのビジネスクラスも、最初に着席する際に外国人CAがMr.呼びをしてくれて、上着を後ろから預かってくれた程度までしか覚えていません。食事に関する思い出もないので、徹夜明けでそのまま爆睡したのかも。
直前の予約だったからか、関空→サンフランシスコ→インディアナポリス(目的地1:工場)→シカゴ(目的地2:展示会)→ミネアポリス→サンフランシスコ→関空だったか、乗り継ぎ多めのルートだったと思います。
工場は日本人もいたので、たどり着いた後は言葉の問題はありませんでした。展示会は、わざわざアメリカまで来ているので情報を少しでも多く取らなければと思い、色々なブースで拙い英語で必死に質問をしまくった覚えがあります。
そして、1週間後、大きな問題なく、一定の成果を残して生きて帰ってきました。
結論:ある意味最も重要な出張
この罰ゲームのようなアメリカ出張を無難にこなしたことが、1年後、指名されての社費留学に繋がったようです(留学後に上司から聞きました)。 留学後、海外向けの仕事が多くなり、世界を歩くことができるようになったので、ある意味最も重要な出張でしたね。
得られた教訓は以下のようになります。
・備え(パスポート、大学受験英語)あれば、なんとかなるかも。
・Holiday Innはいくつかある(ミネアポリス空港で、間違えて、予約していたのとは別のHoliday Inn行のバスに乗ってしまいました)。
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