12歳のアメリカ、カナダ家族旅行
初めての海外旅行は12歳の時。研究者だった父親が1年間、アメリカのアイダホ大学に単身赴任していたのですが、その最後の一か月、母、姉妹と一緒に父とアメリカ、カナダで過ごしました。
当時のパスポートを見ると、アメリカへの出国が7/24、帰国が8/31という、夏休みを本当にフルで使った約40日間の家族旅行です。
今考えても、時間的な意味で贅沢な旅行でした。大人になった今、こんな夏休み欲しい!と心から思います。
長距離ドライブ
小学生の頃の話なので細かいところまでは覚えていませんが、大まかには下記のような内容でした。
・アパート暮らし: Moscow(アイダホ州) → 下の地図のオレンジ色のピン
・カナダ旅行: バンクーバー、カナディアンロッキーなど → 下の地図の青色のピン
・アメリカ西海岸旅行: シアトル、LA、サンフランシスコ、サンディエゴなど → 下の地図の緑色のピン
すべて自家用車での移動なのですが、記憶の範囲で地図に記載してみて経路を調べると、カナダ旅行が約2,600km、西海岸旅行が約5,000km、合計約7,600kmという超長距離ドライブでした。日本列島(北海道から九州)が約3,000km、アメリカ横断が、ルートにもよりますが、4,000~6,000kmであり、それらに比べても長い距離です。唯一運転できる父が相当頑張ってくれたようです。
アイダホでブータンの王族に会う
父が1年間住んでいた町はアイダホ州のMoscowです。モスクワ(ロシア)の英語スペルと同じで、発音は「モスコウ」に近い、ワシントン州との州境近くの、大学の関係者が人口の大半を今でも占める大学町。
渡米期間の最初と最後は、その町のアパートでの過ごし、アメリカの普段暮らしを味わうことができました。父の職場の大学にも行きましたが、大学生用の設備だったと思うのですが、地下にあったビリヤード台に子供心に「アメリカ」を感じました。
ある日、父の研究室の留学生をアパートに招いて、ホームパーティを開きました。額に飾りを付けた女性(インド人だったと思います)など、アジア系を中心としたいろいろな国の方が参加しており、この人は豚がダメ、この人は〇〇がダメなど母が料理の選定に頭を悩ませていました。その中にブータンの王族がおられました。王位継承権の順位は高くなく、普通にTシャツ、ジーパン姿で私と写った写真が残っています。
カナダではテント暮らし
バンクーバーのトーテムポール、カナディアンロッキーの山々の景色や、夏でも凍っているコロンビア大氷原などと共に、特に、レイク・ルイーズは子供ながらにその美しさが強く記憶に残っています。
学生時代に山岳部だった父はアウトドア好きで、宿泊は主にテント場でテントを張ることが多く、そうでないときはモーテルでした。
アメリカ西海岸で金髪碧眼の子供と過ごす
カナダから一旦、Moscowまで戻ってきたのだと思います。ソルトレークシティで塩湖に浮かんだり、グランドキャニオンを見たりしながら西海岸に行きました。
サンフランシスコではフィッシャーマンズワーフ、ゴールデンゲートブリッジなどに行き、市電に乗ったことは覚えています。
LAでは当時まだなかったディズニーランドに行きましたが、ただ、同じアミューズメントパークでいえば、どちらかというと、西部劇の時代を再現したため少し茶色味が多い、渋めの「ナッツベリーファーム Knott’s Berry Farm」の方が好みだった覚えがあります。
サンディエゴでは、父の友人のお宅に滞在しました。少し年下(7~8歳?)の、金髪碧眼の息子がいて、こちらが英語を話せないのですが、数日間ずっと遊んで過ごした覚えがあります。大きなお宅でプールもあり、食事もアメリカ的なものだった覚えがあり、アメリカ人生活に触れることができました。
結論:やはりこの旅行が原体験
数枚の色褪せた写真と、覚えている地名をGoogleマップと照らし合わせることで、かなり昔のことですが結構思い出すことは多いですね。
海外旅行がそれほど一般的でない時代に家族旅行をしたのですが、その後、私が海外志向になって留学し、英語を駆使して海外で即大活躍、ということにはなりませんでした。日本で教育を受け、外国人と話す機会もほとんどなかった私が、その後、再び海外に行ったのは、10年以上経過した後のスペイン観光旅行です。
ただ、アメリカやアジアなどの外国人に会ったことで、外国に対する障壁はかなり低くなっていたのだと思います。中学から英語(受験英語ですが)が得意科目になり、結局、私も研究者として1年間、アメリカの大学に滞在することになり、はたまた海外を歩き回ることになるので、この旅行が現在のベースになっているのは確かですね。
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